こんにちは、たなけん院長です。
私は生まれも育ちも岐阜の各務原市という自衛隊空軍基地のあることで有名な街です。
岐阜といえば、今は大河ドラマで有名な岐阜城、鵜飼い、高山など観光の名所もたくさんあります。
ましてや、岐阜の夏といえば、 長良川花火大会、鵜飼い、清流、川遊び などなど
しかし、私にとっての岐阜の夏といえば ”鮎” 一択です
なぜなら、小さな頃から私の慣れ親しんだ夏の味覚といえば、鮎だったからです。
夏になるといつも思い出されるのは夏休みに母のふるさとである岐阜の山奥での楽しい記憶があるからです。
そこには忘れる事のできない人がいて、鮎を食べる度にその人の事が思い出されるのです。
私の叔母、つまり、母の姉、愛子おばさんは第二のお母さんでした。
その叔母は清流流れる岐阜の山奥の風光明媚なところで料理旅館をしていたので小学校、中学校と夏休みには毎年バイトに住み込みで行っていました。
バイトで旅館のお客さんのために布団を敷いたり、山ほど出る料理の後片付けや皿洗い、細々とした山ほどある雑用などやることは山ほどあり、そのときばかりは勉強しなくても誰も怒らないので楽しくて仕方なかったものです。
休憩もくれるので一緒に働いていた従兄弟たちとすぐそばを流れる川で遊びまくったりもできました。
当然、育ち盛りなのでハラはめっちゃ減ります。
そこでのまかない(ランチ)で出るのが鮎です。鮎といえば、街では高級魚だそうですが私にとっては夏にたくさん食べる普通の魚くらいの感覚です。
それはもう、死ぬほど食べさせてもらいました。だから鮎だけは食べてすぐ、うまい、不味いがわかります。
おばさんはいつも 「うまいか?けん、よーさん食べろ!」 、「けん、肩もんで?おまえは肩モミうまいでな」と私の名前を呼んではかわいがってくれました。
叔母は本当に優しい人だったのでいろんな人から好かれていたので子供の頃は厳しい実の母より、このおばさんの方が何倍も好きだったので夏休みになると嬉しくて、すぐにバスに乗ってただいまーって、おばさんのところに行っていました。
叔母が生きている間は毎年、しょっちゅう行き来をしていたのですが28年前に胃がんをわずらい、長い闘病生活をしいられていました。
しかし、治療の甲斐なく、叔母は息を引き取った時、私は医者になって3年目の駆け出しで、叔母はそんな私を信じて頼ってくれたのですが私は何一つしてやれずに彼女は亡くなってしまいました。
あまり泣く事のない私がその時は生涯で一番泣きました。号泣しました。
本当に悔しかった。
いまなら、いろいろ治療もしてあげれたし、もっと楽な最後も送らせる事もできたのだと思うと今でも悔しくて仕方がありません。
それくらい大好きな叔母でした。
それ以来、毎年、母を連れて叔母の墓参りに行っています。
そのついでに供養と思って、帰り道には鮎を食べることにしています。
私のプチ情報としては叔母の店もそうでしたが鮎の刺身が出るお店はかなり信頼できます。
もちろん、おいしいと評判の店に行きますがやっぱり、叔母が元気だったころに食べた鮎の味に勝てるような店はそうそうありません。
でも、今では叔母を亡くした悔しさが思い出されて、鮎の苦いハラワタが余計、苦く感じられます。